人間が生まれ、そして死んでいく。
これってどういう意味があるんだろう。どういう感情なんだろう。
マニカルニカー・ガートからゆらゆらあがる黒い煙を眺めながら、ふとそんな事を考えてみた。
*写真左側にマニカルニカー・ガートはあります
マニカルニカー・ガートとは?
24時間煙が途絶える事の無い火葬場。
ここで焼かれ灰となった肉体をガンガーに流せば、生前のいかなる大罪をも解脱でき、罪を背負わずに生まれ変われる。
迷路のような路地を彷徨い、マニカルニカー・ガートに到着。
ここは他のガートとは違い、巻が高く積まれ、辺りはそのススで黒く染まっている。
ガート一面を見渡せる場所に腰を落し、ゆらゆらと登る煙を見つめた。
ジリジリと照りつける太陽の光とは別に、燃えさかる巻の炎で汗がにじみ出てくる。
布にくるまれた死者が、四角く組まれた木の上に乗せられ、あぶらを撒かれ炎に包まれた。
そのスピードは驚くほどゆっくりで、まるで肉体を失う事を拒んでいるようにも見えた。
やがて、あたりに灰の雨が降りだし、そしてそれは風に乗って私の体中にふりかかった。
でもそれを、手で払いのけることは出来なかった。
*水没して傾いた寺院
マニカルニカー・ガートでは写真撮影が禁止されている。
写真を撮るとその大罪が消されず、来世へと持ち越されてしまうため、煙が上がっているときは撮影が禁止されている。
布にくるまれ、次々と運ばれる死者。
ここで肉体という目に見える物体が燃やされ、そして灰となりガンガーに流される。
死体を焼く人々は「ドーム」といわれるカーストで、火葬場の仕事をするために生まれ死んでいく。
そして、その人たちもまたドームカーストによって、焼かれ、灰となり、川に流される。
ここにいると、なぜか死に対する恐怖心が生まれない。
人間の生と死があまりに近すぎる存在で、そしてそれはごくあたりまえのことだと気づかされるからかもしれない。
そして、人の命の重さの違いを、理屈抜きで感じさせられた。
日本では得られない感情。
上手く伝えられない自分がもどかしい・・・。
(EOS Kiss-Digital)